子どものために「何が出来る」のか?

子どもには何でもしてあげたい。

困らないように手を差し伸べたい。

母親が、母性からそう思うのは自然なことです。最近のイクメンパパたちもおそらく同じ気持ちなのだと思います。

 

しかし、その関わりは、子どもが成長する過程でいつまで必要なのでしょうか?

 

 

子どもにとって、本当に必要な大人の関わりは、

「やってあげたい」

という足し算ではなく、関わりを徐々に引き算していくことが大切なのではないでしょうか?

「好奇心の邪魔をしない」

「好きならもっとやってごらん」

と手を出さず、見守れる環境を作ることなのです。

 

 

必要以上に係ってしまうことが、結果的に子どもの成長の邪魔をしているということについて、具体的に考えてみましょう。

 

大人が手を出し過ぎると・・・

子どもが泣いたら抱き上げて、あやして欲求にこたえてやる。

新生児から数か月間はそうでなければなりませんが、2才になっても3才になっても同じことをしてしまい、親がいつまでもその方法を手放せないと、子どもたちはいったいどんな大人に育ってしまうのでしょうか?

 

 

転んで泣いたら慰めてくれる。

喧嘩して泣いたら相手を叱ってくれる。

したくないと駄々をこねると許してくれる。

ともすれば、おやつやおもちゃを与えてもらえる・・・。

「大人になったらわかるので今は大丈夫です」と言う方がよくいらっしゃいますが、それは違います。

 

 

根本的な考え方が形成される時期に「誰かが自分の都合のいいように整えてくれる。黙っていてもわがままが通るようにしてくれる」という観念を植え付けているだけなのです。

 

「ママに言うからな-!!」

高校の寮で主管をしている知り合いから最近聞いた話ですが、都合が悪くなったり自分の言い分が通らないとすぐに

「ママに言うからな-!!」

と怒鳴り散らす学生がいるそうです。

勉強はそこそこ出来るようですが、人間関係を上手く築けずわがままで、まったく幼児のようだということでした。

 

 

では、そう言われたママはお子さんの前に出てかばってくれるのでしょうか?

いいえ、実は親御さんがそんなふうに育ってしまったお子さんに手を焼いて、寮に入れたということらしいのです。

学校でどうにかしてもらい、おとなしくなって家に帰ってきて欲しいというような甘い考えなのかもしれませんが、

ここまで来てしまっては、何か大きな壁にぶつかって、本人が心から「これではいけない」と思い改心しなければ、変わることはないでしょう。

 

 

私たちが子どもの生育を心配して、保護者の方に苦言を呈するのは、こういう未来が何となく見えているからなのです。

 

他人を意識させることから伸びるコミュニケーション能力

保護者面談で皆さんが一番心配されるのは、友だち関係のことです。

「お友だちと上手く遊べていますか?」

よく聞かれる質問です。

そして、私たち保育者も人と人との関わりやコミュニケーション能力をきちんと身につけさせたいと考えています。

 

 

ひとつの例として、喧嘩がおこった時の対処があります。

 

 

 

たとえ目の前で喧嘩が始まっても保育士たちは下手に割っては入りません。

両方の話をよく聞き、一方的な言い分には

「ごめんね、先生そこは見てなかったから、やった子に直接『いやだったよ』って言ってね」

と突き放します。

 

すると子どもはどう思うのでしょうか?

子どもの訴えの多くは、相手から受けた嫌な思いをそのまま返したいというよりは、大人に自分を慰めてもらったり、強い存在に相手を怒ってもらうことで優越感を感じたいだけなのですね。

 

実際、突き放してみると子どもたちは、もうどうでもよくなって違う遊びに興じ始めるか、まるでセリフのような「いやだったよ」「ごめんね」というやり取りの後、すっかり元通りに、機嫌よく遊び始めます。

 

そして、そのうち『言いつけ』てくることがなくなります。

「ママに言う」と騒ぐ高校生よりずっと大人な園の子どもたちです。

 

 

また、友だちを叩いたり押したりするお子さんを

「それしたいの?あ、好きなんだね!じゃあ同じことしてあげる~~」

と追いかけることがあります。

 

相手を叩くのはよくても自分が叩かれるのは嫌。それは当然のことですが、その気持ちを認識させないと、他人を叩くことで何かを満足させる、相手の痛みは何も感じないという育ち方をしてしまいます。

 

時々「うん。やって!」というお子さんがいて、非常に困ることもあるのですが・・・(笑)

 

 

そんな数年を経るうちに、年中・年長になると子どもたち同士で喧嘩の始末をつけられるようになってきます。

先生を頼っても、自分の味方にはなってくれないという経験を積み重ね、「自分で何とかしよう」という気持ちが芽生えたのだと思います。

そして小さいうちから、そんな先輩たちを見て真似をしますので、クラスがあがっていくうちに、子どもたち同士で喧嘩の仲裁をしてくれる場面がよく見られるのです。

 

 

三つ子の魂百まで

昔の人は真理を見抜いた格言を残しているなぁと感心することが多いですが、『三つ子の魂百まで』という言葉も、本当に真理をついていると思います。

 

 

勘違いされている方も多いようですが、『三つ子』とは、受胎してから三年なので、ほぼ満二才です。

園で言えば一才児のつくし組から二才児のたんぽぽ組の前半の頃。

意欲や自立の芽を伸ばし始め、コミュニケーション能力も育む時です。

 

 

以前のブログでも書きましたが、新生児から歩くまでの動作一つひとつを赤ちゃんが自分の力で行い、発達の階段に抜け落ちなく成長しているかが、コミュニケーション能力と深くかかわってくるのです。

 

2022.12.22